隠れ家的レストランモレーナのインドカレーと世界を放浪したマスターの旅

脳梗塞闘病記

脳梗塞闘病記 5

2010年4月19日(月)67.7㎏
 夕食の時に婦長から呼ばれた。今度カンファレンスをやるので、4月26日(月)に家族に来て欲しいと言われた。カンファレンス・・・? 日本語を使ってもらいたい。退院後、どうするかと言う事について、医師とケア.マネージャーと家族が一緒に話し合う事らしい。夜、7時過ぎに、田村君とマサイとフジトさんとこの若いの(ハーレー青年、去年クララの10人展で会った)が訪ねて来てくれた。作品のプリント(葉書用)来年もまたクララで私を含めた絵画作品展を計画していると言う。

2010年4月20日(火)
 1階の歯医者まで車イスで行き治療を受けた。

2010年4月22日(木)
 フロの日、まだ介護で入浴、早く自分で入りたい。昨夜、下川に電話した。フミちゃんもイヌも元気そうだった。しかし、カンバンが強風で倒れ、屋根も壊れテンヤワンヤだと言う。フミちゃんは「人に話かける時は明るく、そうすれば相手も自分も明るくなれるから」と言った。私は知らず暗くなりがちだ。病気になんか、負けてはいけない。言われてそう思った。そして、ハッとした。
19才で結核、入院生活していた時にも同じ事を掃除のオバちゃんに言われたのだ。「いつまでもクヨクヨしたって、つまんないだけよ」あの時から自分は前向きに考えるようになった。「手続きやお金の支払いは私がやるから、何も心配しないで、リハビリで体が元にもどるように、がんばってね。」とフミちゃんに言われ嬉しかった。クヨクヨしても始まらない!これからはもっと前向きに明るく生きよう!

2010年4月23日(金)ハレのち雨、雪
 朝起きて自主リハ30分 ベッドの上あお向けの状態で両立ヒザ。ヒザ頭の間は握りこぶし大に間をあける。毎朝続ける。 *静止した状態を保つ ①を続けていると、足がグラグラしなくなる。あお向けの状態で足の屈伸運動、伸ばしたまま、上下させる。途中で止める。 あお向けの状態で体を伸ばし、腹筋の運動、上体を起こしヘソを見る。 以上の体操を30分間やったあと、歩行する。杖を補助用に持ち、院内のロウカを散歩する。

  • ☆受け身ではいけない。
  • ☆自主的にリハ、トレーニングの努力をする。
  • ☆運動量を増やす事で、脳も活性化し、体も動きやすくなって行く。(3時に介護保険の訪問調査があった。)
    • ●つま先立ち、(両足)壁に両手をつけて体を支える10×3回
    • ●立ち座り、ベッドのフチに腰をおろし、手を使わずまっすぐ立つ、これをくり返す。10×5回  
  • これだけでも、足腰が強くなり、腹筋も強くなって上手に歩く事が出来るようになる。

2010年4月24日(土)
   床屋さん(5階、出張)に整髪してもらう。リハビリ 2回 3時頃、ナンバさんが来る。銘水をもらう。人差し指はなかなか良くならないと言う。ネコに噛まれたのが原因、結局指は失われた。  悪い事は重なるもの。私は19才の時、父を亡くして、同時に結核で入院した。受験に失敗、あこがれの商船大学もあきらめねばならなかった。つらい時期であった。☆結核者は受験資格が無い。
 しかし、その後、東京農業大学に入って、田舎を離れ1人で下宿生活を始め、友人も出来た。人生はすっかり明るく楽しいものに変った。それは、結核での闘病生活中には、考えられないものであった。今回は再び人生の峠にさしかかった。脳梗塞でモレーナの仕事も出来なくなった。障害と病気と失業(廃業)の3つが重なったのだ。今はとても苦しい。でも峠を越えればまた道が現れると思う。あせってもどうにもならぬ、思いつめたって良い事はない。気長にやろう。ケセ・ラ・セラで行こう。

2010年4月25日(日)くもり 血圧126~78
 午後2時前にアガぺ父さんと母さんが来る。重度障害にめげず頑張っているシンちゃんの話が出た。5階展望台でコーヒーとケーキをいただく。

2010年4月26日(月) ハレ 体重66.8㎏
 心も体も弱ってしまった。私は、トワエモアの歌のセリフを思い出した。「私は死なない。海に約束したから、悲しくても悲しくても死にはしないと・・・」どうも自分はうつ状態がひどくなっているようだ。
 死ぬのは、簡単だ。生きて行くのは大変だ。だからすばらしいのだろう。・・・それを私は忘れかけていた。嘆くのをやめて一歩踏み出そう。ここから出たら、元気を取り戻しにメキシコへ行く事に決めた。メキシコは私に生きる事と絵を描くインスピレーションを与えてくれるに違いない。  一度、助かった命だから、生かす事を考えよう。午後に山内医師の病状説明があった。ついに外泊許可が出た。(倒れてから3ヶ月目にして)*悩みを自分だけで抱え込むのをやめて友人達に話し聞いてもらおう。手紙でも電話でもいいから。
 幾山河こえさり行かば 淋しさの果てなむ国ぞ 今日も旅行く   牧水
 人生は河のようなもの   人生は河の流れにも似ていると最近思う。私はずっと流れに逆らって生きて来た。ただ流されて行くのがキライだった。子供の時からの夢、ただ世界中を日本中を旅し続け絵を描いていた。行商もした。最後は北海道の田舎で働いた。人から見ると自由奔放、うらやましい生き方らしい。人生だからそれなりの苦労はあった。でも自由だった。それが2月9日に脳梗塞で倒れてから、自由でなくなってしまった。何も出来ない!あのまま死んでしまったら良かったのにと思った。あれから3ヶ月、杖を使って歩けるまでになり、手も少しずつ使えるようになって来た。それはそれで嬉しい。でもこれからの生活を考えると、どうしたらいいかわからない。気持は落ち込む、希望、情熱、それはみんな、どこへ行ってしまったのか。人生が河の流れなら、流れに身をまかせて、生きてみようか。いつの日か道は開かれるだろう。

2010年4月30日 くもり 連休はじまる
 418号室は、5月7日に退院するLさん(60)と車イスの若いH君(45)とO先生(66)と私(66)の4人が入っている。窓からは大雪連峰がよく見える。(4階)右手隣の旭川医大の建物がある。Lさんは、電気店の店長をやっていたが、ストレスで倒れた。(脳幹 脳梗塞)5月7日に退院する。O先生は定年後、幼稚園の園長をやっていたが、飲みすぎ?で倒れた。車イス、介助、彼は、2度目の脳梗塞だ。前よりずっとひどい。1度目は軽くすんで、2週間で退院したが5年後に再発した。
H君は、建設会社の課長だったが、脳梗塞で突然倒れた。(車イス)高校生と中学の子供と奥さんがおり、この先大変である。皆、それぞれ悩みを抱えている。H君は軽いうつ病らしく、私は彼を見ていると、自分もそうなって行くようで恐ろしかった。でも、しばらくすると、彼が可哀相になり同情を感じるようになった。そするともうそう言う恐怖感は消えた。  彼は、よく話をするし、元気だ。頭も良い。4階では、寝たきりの人や重症の人もおり、この部屋は、男部屋の中では、活気のある方だ。
O先生は下川の小学校(上ナヨロ、中ナヨロ)に居た事もあり、下川の話をよくした。書道家である。また音楽も好きで、私がオールディーズをカセットテープでかけると、一緒に聴いている。H君も音楽好きだ。私は、ヒマな時はスケッチしたり、絵を描いたりしている。

2010年5月1日 くもり 外泊 少し肌寒い(外泊リハビリ)
 昼前にアガぺ夫婦が迎えに来てくれた。外泊許可証とクスリをナースステーションでもらってから、病院を出る。3月17日の入院以来だ。これもリハビリなのだ。途中、永山のそば屋(アガぺさんの行きつけ)に立ち寄り昼食した。(とろろそば)おいしかった。スープは残した。再び出発、何もかも新鮮に見えた。イカウシ(当麻)のアガぺ家に泊めてもらう。サトウさんが建てた手作りログハウス、階段は手すりがないので肩を支えてもらって登った。2階だての丸太小屋、森の中にある。家に入るとイヌがしっぽをふって、まとわりつくので、歩いて進むのが大変だった。トイレを借りて、小便、これも思ったよりスムースに1人でやれた。テーブルの大きなイスにかけ、ヤレヤレ・・・コーヒーをいただく、窓からの光が美しい。イヌがラブばかり5頭もいた。みんなでかい。2頭はあずかっているイヌだと言う。夕食はごちそうだった。セレナちゃん(となりの娘さん)手作りパン&チーズ、サラダ、アズキ入り玄米ごはん、ワイン(グラス1杯だけ)こんな食事は久しぶりで感激だった。夜、9時眠剤を飲んでからベッドに入る。

2010年5月2日 天気上々 気温上昇
 家のまわりは自然がいっぱいなので目が疲れないし、心がとてもラクだ。白一色の病院とは別世界だ。さわやかな朝、これも久しぶりの体験である。朝食はパン、サラダ、チーズ、コーヒーすばらしかった。私は午前中は窓からスケッチをした。それから10時頃、あたたかくなったので、友人に付き添ってもらって、家のまわりを散歩した。エゾエンゴサクの花が咲き、気持良い。生きていることは、すばらしいと思った。昼食はキツネうどん、スープは残した。以前だったら全部のんでしまったが・・・・それに2杯食べねば、とても満足しなかったが、一杯で十分だった。とにかく、今の体重をキープするようにと厳しく言われている。自分としても、まだ10年くらいは元気に暮らしたい。
昼食のあと、昼寝したかった。(疲れた)アガぺさんと蜜蜂の箱のフタをあけ、内検、女王を確認した。仕事はまだムリだとわかったので、あとは全部おまかせ奥の部屋にもどり、1時間程休んだ。そのあと友人と話したり、散歩したりした。疲れると車イスで休んだ。夕方、車で東カグラへ行く。アガぺさんのお気に入りのカレー屋に行き、おいしいカレーを食べた。久しぶり、とてもうまい。でも疲れてクタクタ。
夜、寝る前にフロに入った。まだ、1人では入れないので、父さんに介助してもらった。体を洗ったりするのは、自分1人でやった。やはりヒノキのフロが一番いい。生き返った感じがした。9時頃、ベッドに入る。眠剤は飲まなかった。しかし、夜中にトイレに行ったあと、すぐに寝れそうもなかったので、眠剤を飲んで再び寝た。朝までぐっすり寝られた。目が覚めてすぐ窓のところにリスがやって来た。野生のリスはとてもかわいい!

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