隠れ家的レストランモレーナのインドカレーと世界を放浪したマスターの旅

脳梗塞闘病記

脳梗塞闘病記 7

2010年5月27日 くもり時々雨
 4時から作業リハビリでカレーを作った。材料は昨日、姉達に頼んでホテルの近くのデパート食品売場で買ってもらった。スパイスは、フミちゃんが用意してくれたのを(下川から)持って来た。
玉ネギや肉を切るのに、左手が不自由なため、非常に時間がかかった。それでも、うまく作れて、熊谷先生と小川(しほり)先生と3人してリハビリ室で一緒に食べた。(夕食6時)が大いに受けた。脳梗塞で倒れて、初めての調理であった。調理台におなかを押し付けて、体を安定させる事とか、ガス台の位置を低くする事とか、材料を切る時の注意すべき点の指示を小川先生から受けた。とても楽しいリハビリだった。4時ちょっと前だったが、同室418 のOさんの様子が変だった。
ろれつがうまく回らなくて言っている事がわからなかった。作業リハビリの調理実習と食事が終わって6時に部屋に戻ると、Oさんのベッドはからっぽだった。私が調理実習に行っている間に救急車で日赤病院に運ばれた事を同室のT君に教えられた。食堂でもいつも同じテーブルだったF老人が先日も病室内で転んで、足を骨折して、日赤は運ばれたばかりだ。F老人は退院直前でこれで家に帰れると喜んでいたのに残念だ。

2010年5月28日(金)くもり 血圧124~70(安静時)
 今日は同室のH君が退院、かわりに(他の部屋にいた)Iさんが入った。この病院ははやっているらしく、いつも一杯だ。Iさんはクモ膜下をやったあと水頭症になり、入院している。頭に髄液がたまる病気でバイパスで腸内へ排出する手術を受けた。話せるし、体もフツウに動けるようになったが、肩と首が異常に重く、鉛が入っているみたいだと言う。夜、フミちゃんから電話あり、(保険証の確認)思ったより、「症状が良くなっていて、びっくりした。リハビリがんばってね」と言っていた。

2010年5月29日 ハレ 血圧122~70(安静時)
 天気良好、大雪の山の雪もだいぶとけた。外泊の疲れがまだ残っている感じだ。1階の歩行訓練は休み休み、やった。あまりやるとフラつく感じで不安になる。ムリはしない。再発は入院中でも起こる。再発で日赤へ行ったO先生の事が気になる。「アルファマの灯」水彩画を今日、完成させた。なかなか良い作品になったと思う。次はシルクロードを描く予定。夕食前にシャワーで体を洗った。1人でフロに入るのは発病後、初めてだ。やっと許可が出た。倒れないように1m4方のシャワールームだ。今までは介助してもらって、フロに入っていた。着たり脱いだりが慣れてないので、1時間くらいかかりあわてた。ぎりぎりで6時の夕食に間に合った。

2010年5月30日(日) ハレ
 朝、4時にトイレに行ったが、そのあとも7時までぐっすり眠れた。外泊以来。疲れもとれていた。久しぶりにさわやかな気分。昨日のフロが効いたようだ。(10日ぶり)これからは、フリーになった事だし、毎日入れる。(ホットシャワー)今日は日曜日でリハビリがないから自由だ。手紙(田中、鹿谷)洗濯、絵、フロ、散歩をやる予定。他の患者は日曜日はする事がなんにもないと言うが、私はそんな事はない。日曜日は自由に過ごせるので嬉しい。
田中郁人様へ  
前略 
お手紙ありがとう。はじめて手石に行った頃は先生もチャーリーも元気だったけど・・・  年が経って弱って行くのも自然なんだ・・・と、この病気をしてみて感じました。「人間はいつ死ぬかわからない、明日は何が起きるかわからない」と思いながら自分は生きて来たし、そう言う張りを失ったら人はマンネリズムとアンニュイの世界に没してしまうでしょう。平和とテレビづけでフヌケになっている日本と言う国、日本を見ていてつくづく悲しくなります。脳と目と耳が大丈夫な患者は、ほとんどTVに張り付いている。本を読んでいる患者は皆無、これも悲しい事です。  大宅壮一が、かつて日本人総白痴化を予言したとおりになってしまった。僕は幸い右手が大丈夫だったので、倒れて一週間目からベッドの中で「ある脳梗塞患者の手記」を大学ノートに書き始めました。(今は3冊目)最初は1ページどころか1度に5行書くのがやっと、今では2~3ページ書けるまでになりました。毎日書き続けた事が結果として大脳のリハビリになり、他の患者(TVづけ)のようにボケないで、すんだし、大脳を使う時間が他の患者よりもずっと多かったために、運動神経系に良い影響を与えてくれました。もともとやる気があったせいもあって、リハビリの先生が驚く程順調に機能が向上しています。まったく左足が動かなかったけれど、今は見守りなしで杖歩行が出来るまでになりました。車イスは不用になり、トイレはもちろんシャワーも自立しています。着替えも(2ヶ月前)から自立、今は左手も使用してファスナーやボタンを自分ではめ、洗濯もコインランドリーに行き自分でやれる程になりました。でも目が疲れやすいのでペーパーバックは1回に1~2ページがやっと、それでボクは今詩集を読んでいます。絵は毎日、ヒマな時間を見て描いています。ポルトガルのリスボンの下町などを描いています。ほとんど構成画です。見なくても描ける表現力はすでに身についているので想像と思い出とイメージで描いています。これも脳のリハビリには非常に良いのだと主治医が言っていました。この病院で絵を描いているのはボク1人らしい・・・。自分が今後どうするかと言う事は大きな問題で、病に倒れてからずっと自分を悩まして来ました。思えば暗い日々でした。脳もまともではなかったと思います。他の患者が気狂いに見え、自分も狂って行くのでないか。このまま精神病院送りになるのではないかと言う恐怖感に包まれて過ごしていました。自分がまともに生きようと言う気力が湧いて来たのは本当の最近です。
 予定としては、6月に下川へ戻り、トイレ、フロ、階段などに手すりをつけて工事をやってもらう。8月か9月にモレーナをオープンし自分1人でやって行くつもりです。フミちゃんは6月から町営住宅に引越して、介護の仕事を始めるようです。ボクはメニューを減らしたりして、1人でもやれるように、あちこち工夫して、少しずつでも店はやって行くつもり、そのうち慣れるでしょう。「モレーナ」の灯は消したくないです。絵は店の中でヒマな時間に描き、これからも続けます。年くって、ほとんどニッチもサッチも行かなくなったら、自分は生活保護を受けてでも絵を描く決心をしています。
「指輪物語」の作者ローリングは赤ん坊をかかえながら、ロンドンで生活保護を受け、あの小説を書いたのです。ボクも田中さんも動脈硬化したこの国では、ある種の潤滑油であり、クスリです。だから国は保護すべきであり、少しも恥じる事はないと思います。恥ずべきは、税金をネコババしている官僚であり、政治家や甘い汁を吸っている輩です。ボクの姉と妹が先日、内地から見舞いに来てくれました。姉はボランティアでソーシャルワーカーの仕事をしているので「そう言う事は、国民の当然の権利であり、小さくなって、保護される事を恥じと考える必要はまったくない」と言っていました。「医療費も税金も免除されるし、月に10万円くらい生活保護をもらえるのだから、こんないい事はないわよ。」と言う話でした。「恥ずべきは自己に忠実でない事」だとボクは思って生きて来たし、それは変わらない。それがボクのプライドでもあるのです。
 ヤン衆あきらめて、先生や下流の姐さんの事を思い地元で働く事にした田中さんの態度は立派だと思いました。人知らず 人知らず支えあり。助あって生きているもの、生かされているんだと思います。年をとって動く力もない死んだ方がマシなような患者でも、見舞いに来ている家族らを見ていると彼らにとってはかけがえのない存在なのですね。はじめの頃、ボクは他の患者がゾンビのように見えました。そう言うのが60人ぐらい食堂で、一緒に食事をするわけです。(2/3は車イスに乗った)突然大声でわめき出す者、泣き出す者、食べ物がノドに引っかかって、ガーガーやっている者、ヨダレだらだら、テーブルに突っ伏して動かない者、メクラ、勝手にフラフラ歩き回る者それらゾンビの群に思わずゾッとしました。でも、時間が経ち、彼らに慣れるうち可哀想だと思う気持が起こりました。すると自分が「クモの糸」のカンダタと同じだと気づき恥しくなりました。
 倒れて3ヶ月半、でも自分にはそれが10年にも20年にも感じられる程、重いものでした。疲れたのでこの辺でペンを置きます退院したらギターはムリだけどキーボードを始める予定です。毎日、田中さんが前に送ってくれたテープを聴いています。音楽は力なり!それでは、お元気で・・・。 草々

2010年5月31日(月) ハレ 体重65.8㎏
 O先生が日赤へ送られたあとに2階からWさんが入った。(車イス)作業リハビリで介護なしでフロに入る練習をした。 2010年6月1日(火)くもり 窓から見える大雪の連峰が美しい。  午前中は絵も文も書かず、リハビリと自主トレで過ごした。午後3時にホットシャワーで体を洗った。体の機能も良くなって来たし、体力もついて来た。退院まで1ヶ月?リハビリの時間以外は自主トレとストレッチをもっとやる事にした。私は体のネジレタ金魚みたいだ。体のネジレが自分の場合、人一倍ひどかったが、それもだいぶとれて来たと先生に言われた。ネジレは左側のマヒのため、右側の筋肉ばかり使う事によって生じるらしい。
☆リハ:リハビリの事 最近はリハによって左側の手足がかなり動くようになって来たので、意識的に左足に重心をかけて歩くようにして、左手を出来ても出来なくても使用している。それによって体のネジレがとれて来て、体全体が前より楽に動くようになって来た。
朝6時起床 
6:30~7:50自主トレ(1階の回廊を歩行1周120メートル×5) 
8時朝食
9:30~11:00自主トレ 
11:20~12:00リハビリP・T 
12:00昼食 
12:30~1:00ヒルネ 
1:10~2:00リハビリOT(作業) 
2:00~4:00入浴、休憩、自主トレ 
4:00~5:00リハビリPT
6時夕食 
夜6:30~9:00自由時間 
9時消灯
 ざっとこんな、スケジュールの毎日だ。入院して1ヶ月くらいはリハの時間以外はほとんど何も出来なかった。精神的につらい日々だった。OTのリハビリでは、小川先生が心のケアもしてくれたので、それで救われた。彼女には心から感謝している。今のスケジュールがこなせるようになったのは、1ヶ月くらい前からだ。  はじめはとてもつらかった。

2010年6月5日(土) ハレ
 久しぶりの上天気だ。6月3日に夕方、調理室でカレーを作った(リハビリ)先生は調理にアドバイスとタイムを計って前より慣れて早くなった。カレーは大好評であった。ナースさん、婦長、リハビリに熊谷、小川先生らと一緒にポークカレーを食べた(夕食)。ここでは、私は塩分制限(1日7g)を受けているので、食事の時にカレーは1度も出なかった。主治医の山内先生も一緒に食べる予定だったが、来なかった。私が食べ終って、部屋に戻る頃、カレーのニオイに引きつけられた若いリハビリの先生達がやって来て、食べ歓声をあげていた。日本人はカレーとラーメンが好きな人が多い。私もそうである。山内先生も好きであるらしく、下川の「モレーナ」でカレーを食べた事があると言っていた。
 午前中(10時)にシャワー入浴、さっぱりした。O先生のあとに、Wさんと言う60くらいの坊主頭の元気のいい患者が2階から上がって来て入った。職業は「そば屋」だと言う。Iさんは外泊で午後から出かけた。今日は家で生ビールとジンギスカン」だと嬉しそうだった。昔、上フラノの役場の職員だった。(58)今日は午前中に斎藤先生からリハビリを受けた。熊谷先生は休みなので、代わりである。この斎藤先生は中年の人で、リハビリの方法を極めていると言う印象を受けた。何か困っている事はないですか?と聞かれたので「職業が調理で左手指が動かなくて困っています。」と言うと手指のリハビリをやってくれた。終った頃には、指がなめらかに曲がるようになっていた。最後に自主トレーニング(指の)の方法を教えてくれた(NO.3→)


私が病院で受けたトレーニング法(左側マヒ)

  • ①自主トレーニング 歩くこと*大きな鏡に全身を映し、見ながらやる  
    • 〇壁を使って・・・壁に右手平を押しつけて上に伸ばす、カカトを伸ばす
      • *常に鏡に映して、体のゆがみ、姿勢を正す  
    • 〇(左のクツ、クツ下をはく時)ヒザを組む・・・左足をあげ右ヒザの上に乗せて組む。             (ベッドに腰かけて)
      • *左足が落ちないように左手で軽くホールド ・ストレッチ 
        • ・組んだまま体を左にひねる         
        • ・組んだまま頭を足元に向って下げて行く
    • 〇腹筋トレーニング(ベッド上で)   ・
      • ・ヒザを伸ばして・・・・ヘソを見る(上体を起こす)
      • 両手を頭の後で組む    
      • ・ヒザを立てて・・・・・尻を上げる
    • 〇立ち座りの反復(ベッドを使って)
    • 〇足を天井にむけてあげる(ベッドにあおむけになって)片足ずつ交互に
    • ◎左足に重心をかけて立つ、座ること
    • ◎歩行の時 右足はカカトから床につけて右ヒザをのばして曲げないようにし、右尻を前に出して行きながら上体を上にあげてやる*座位の時に左腰背部に膨隆が出る➡左臀部がつぶれているータオルを入れてやると良い
      • *ジャスミン茶を毎日飲むと良い
  • ② 手指のトレーニング(左梗塞)
    • 〇手の平を刺激してやる。
    • 〇指を動かす、筋肉は手の平の深い所を通っているので、右親指を使ってマッサージする。 〇各指を1本ずつマッサージ、その時、各関節を1つずつもみほぐしてやる。
    • 〇曲がった指は1本ずつ伸ばしてやる。痛みを感じない程度にゆっくり時間をかけて伸ばしてやる。
      • *テーブルで食事を待つ間も必ずやる事。
    • 〇中指、人指し指の曲がりがひどい。人指し指が特に硬い。
    • 〇指の関節の上下の皮が硬くなっているので、マッサージして柔らかくしてやる。
    • 〇甲の部分をマッサージする。
    • 〇手首のマッサージ  
      • *マヒのためグローブのようにふくれあがったが、私の手指も2年後には元に戻った。   ヒマな時はいつも指の曲げ伸ばしトレーニングを忘れずに行う。指に刺激を与える。   (チクチクした刺激、冷たい、熱い刺激を交互に与える)
    • 〇ペットボトルのフタのあけ閉めトレーニング 右手でペットボトルを持ち、左手指(親、人、中指)でフタをつまんで行う。
      • *左肩、右手に力が入らぬように注意!
    • 〇タオルの上に左手の平をのせ指を伸ばす。各指先を上から右手指で押さえる。  タオルを引き寄せる→指を伸ばして、タオルを戻す。これをくり返す。


 一連の過去(病気してから現在まで)を振り返ると、私は誠に運が良かったとしか思えない。そして、こうなったのも身から出たサビであった。私が倒れたあと一番苦労したのは、妻であったと思う。私が入院中、草刈りから畑、店、ニワトリ、ネコ、イヌの世話、雪下ろし、私に関わる様々な事務手続き、雑用(税金申告、病院関係)に振り回されていた。彼女の機転で私は危急を救われたのだ。この病に倒れて、早4ヶ月近くになる。しかし、私にとってはそれが10年にも20年にも感じられる程、長くそして重いものであった。イヤでも人生について考えさせられた。
 子供もいない。これから先どうやって生きて行くか・・・・私は66才である。これまで、身体障害者を気の毒に思った事はあるが、自分がそうなると言う事は思っても見なかった。今の心境は「なるようにしか、ならない。」それだけだ。クヨクヨしてもジタバタしても始まらないのだと本当にそう思えるようになったのは、最近である。それでだいぶ気がラクになったように思う。開き直るのが人より遅いが、いったんそうなってしまえば、私と言う人間は案外、平気で生きて行ける。気分的にも明るくサバサバして来た。そうなると回復して行くのも早い。今は、リハビリだけでなく自主トレーニングもバリバリやっている。
「生きるべきか、死ぬべきか、それが大切だ。」シェイクスピア そのせいであちこち体が痛い。寝る前にサロンパスをペタペタはるのが、日常的になった。痛いなんて言って、サボったら固まってしまう。リハビリを頑張りぬいた人は皆、良い結果を残している。急性期(2週間~6ヶ月)のリハビリは大切だ。入院した頃は左手、左足がほとんど動かなかった。今は、杖で歩けるまでになり、先日はリハビリの先生と一緒に1㎞先にあるコープまで買い出しに行き調理室でインドカレーを作り、好評を得た。すべてがリハビリである。
それで、だいぶ自信がついた。最近は、両手を使ってパジャマのボタンをはめたりして、いろいろな事が出来るようになって来て嬉しい。
今日は、リハビリの時、片手でペットボトルを持ち、左手でフタを開ける訓練を受けた。服のボタンをはめたり、ファスナーをしめたり、タオルを両手で持って背中を洗ったり、タオルを絞ったりする事も出来るようになった。(時間はかかるけど)出来なくても、イメージトレーニングをくり返すうちに出来るようになる。
脳が思い出す、最初はぎこちなくても、くり返し、続けるうちに上手になるものだ。イメージトレーニングがいかに大切か、わかる。様々な作業リハビリ、料理に至るまでトレーニングしてくれたのは、作業P・Tの小川先生だった。リハビリ中いろいろな話をした。彼女は私の悩みも聞いてくれた。ただ聞いてもらうだけで、私の心は軽くなり楽になって行った。病院で絵が描けるようにしてくれたのも彼女だった。

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