隠れ家的レストランモレーナのインドカレーと世界を放浪したマスターの旅

脳梗塞闘病記

脳梗塞闘病記 9

2010年6月20日(日)カミナリ 夕立
 午前中、自主トレ 昼前、絵を描いているとマサイとフジトさんが来た。フジトさんはこれから車で旅に出ると言う。今夜は赤井川村の友人の所に泊り、そのあと東京、大阪、京都で個展、1ヶ月程の旅だ。「むこうは梅雨なので、大変だ、暑いしな。」と言いながらも嬉しそう。作品はあれからがんばって、たくさん作ったと言う。フルーツをたくさんもらった。今日は日よう、リハビリはない。午前中は洗濯、ヒルネのあと、こわばった体をホットシャワーであたためて、筋肉をほぐすとだいぶラクになった。Kさんもaさん(aさん80代、大男、ずっと日通のトラックの運転の仕事をしていた。入院当時、あばれるので、いつもベルトでイスやベッドにしばられていた。)も暑さのせいか、元気がない。Kさんも7月9日に退院の予定。彼は寝てばかりいて、自主トレをやらないので、まだ少ししか歩けない。残念だ。体がすっかり固まってしまった。シビレがひどいようだ。一緒に入院したのに自分の方が回復したので申し訳ない。

2010年6月21日(月)ハレ 体重66.0㎏
 昨夜は手足がつっぱって、よくねむれなかった。ねむくて午後3時頃(今日の)横になっていると、突然フミちゃんに起こされてびっくりした。今日来るかも知れないとは知っていたが、夢を見ている気がした。彼女は彼女なりに私の事を心配してくれて、下のソーシャルワーカー(岩本)さんに色々話を聞いて来たと言う。5階の展望台に行き、コーヒーを飲みながら話した。フミちゃんは今年の夏は店をやると言う。
そのあと、病院の庭を2人で散歩した。アカシアが満開だった。ここは素晴らしい花園で彼女の大いに気に入ったようだ。「オレはあんたを幸せにしてやれなかった。ごめんよ。」と私は言った。その言葉が素直に口から出たので驚いた。「オレはオキナワにでも行って暮すよ。」というと「そんな極端な事をしなくたって、幸せになれる道はあるわよ。心配しなくても、大丈夫、幸せになれるよ」と彼女は言った。もう夕方ね、ジュディ(イヌ)が待っているから、帰るわ。」と車に戻り、彼女は去った。フミちゃんはフルーツが好きなので、昨日、フジトさんからもらった、フルーツをあげると喜んだ。患者には食事制限が色々あるので、食べるわけにもいかず、困っていたので、私はホッとした。

2010年6月24日(木)雨のちハレ 体重65.5㎏ 血圧112~70 体温36.5℃ 猛暑‼
 10時にフロ(シャワー) 11時20分から12時までP・T  12時昼食を食堂で食べた。私の左はKさん、右はbさんと言う30代の女性(クモ膜)、Kさんのむかいはaさん(70代男性)でかくトロールっぽいがやさしい人、私のむかいは最近2Fから上がって来たcさん(女性40代)脳梗塞(左)、その横はdちゃん(20代)脳腫瘍、eちゃん(20代脳梗塞?)と言う顔ぶれだ。全体に女性達の方がよく話をするし、感覚も自由だ。こちらも気がラクで、なごやかムードで食事出来る。


2010年6月25日(金)ハレ 血圧135~90  体温36.9℃(シャワー入浴直後)
 fさん(バアちゃん、前のとなりの席)退院した。朝、10時に入浴(シャワー)、朝食前、プロムナード歩行、(1時間)6:50~7:50 今日は大雪連峰がよく見える。山の雪がへり、細いスジに見える。美しい。私の退院も近い。昨日 午後のP・Tで、ランニングマシンのあと、階段4階まで登らせられ、足腰が痛い。

2010年6月26日(土)ハレ猛暑 皆既日食 血圧118~86 体温36.4℃   最近左手で出来る事が多くなった。
  〇ツメ切り 右指のツメは今まで自分で切る事が出来なかった。今日、右ヒザの上にツメ切りを置き、不自由な左指と左手の平で押して切る事が出来た。
  〇洗面(左手も使って)
  〇洗髪(左手も使って)

2010年6月28日(月)外気温32℃ 血圧110~70  体重65.6㎏ 体温35.5℃
 ひどい暑さだ。午後4:00からP・Tの熊谷先生からブン回し歩行のクセを直すリハビリを受 ける。院内もかなり暑い。ブン回し歩行のクセを直さないと「いずれ腰が破壊されます。」と小川先生は言う。(小川しおり)

2010年6月29日(火)猛暑続く
 最後のリハビリ  午後2時過ぎに、教会の伊藤さんが訪ねて来てくれた。色々な話をした。(彼が最後に来た面会者)陽に焼けて元気そうだった。今日が入院最後リハビリ最後だと思うと感無量である。これから先、希望を捨てずに生きて行こうと思う。リハビリの小川先生と熊谷先生にお世話になったお礼に絵を差し上げた。(夕焼け小焼け)良い子の住んでいる楽しい町)退院したあとの、私の人生はどうなるやら、不安が付きまとうけど「明るく、楽しく」を忘れずに生きよう。そしてまた、絵の方も命ある限り、続けて行くつもりだ。(イコンの製作を始める予定)

2010年6月30日(水)くもり すずしい
 今日、退院する。実に5ヶ月近い入院生活だった。朝、カノヤに手紙を書いて、病院の受付に持って行って、出してもらう。今日は朝からむし暑い!午前中、栄養指導、シャワー、荷造りをする。
サカイ君が2時頃、むかえに来てくれる事になった。昼食はトリ肉のハンバーグ、ごはん、ニンジン甘煮、2切、キャベツとタマネギ、ピーマンのコンソメ煮、オカズはいずれも小皿に盛られている。塩味が水のようにうすい。ごはんがドンブリに7分目(220g)で少ないものだ。でも5ヶ月近く、こんな食事を続けているうちに慣れた。ハラがへった時はアメ玉を1個しゃぶる程度ですませる。冷たいジャスミン茶(セイコーマート)は食事の度に飲んでいた。それで退院する頃には、10㎏、スッキリやせたのだ。これから先、この体重をキープするような生活習慣がネセサリー、それが出来ないと再発するだろう。
和式にかぶせる洋式簡易トイレ、フロに自力で入るのに必要なバスボード、2階で使うポータブルトイレを退院前に自宅に取り付けてもらった。(全部で5500円なり)1/10負担 これで、トイレ、フロの問題は解決したので、私はホッとした。2階へ行く階段の手すりは2、3日後に取り付けに来ることになった。
書き忘れたが、下川の家に着いて、すぐに3人でフミちゃんが借りた町営住宅を見に行った。川岸に近い、昔、ゴロちゃんが住んでいた付近だった。中は3LDKでフロはボイラーもついていた。
  ここにしばらく(寝起き)生活するかも知れない。「モレーナ」は住居が2階で大変だし、来客があって、ゆっくり休めないからだ。夕方、私は家の付近を杖をつき、左足を引きずりイヌと散歩した。帰る時は、夕立に見舞われた。走ることはもちろん、早く歩く事が出来ない、転ばぬように進む事で精一杯だ。カサもなく情けなかった。
心配してフミちゃんが車で急いでむかえに来てくれたので、助かった。私は、まだ体が長い入院生活と片マヒが残っているので、それだけでヘトヘトに疲れ、必死で2階にあがり、ベッドに倒れ込んだ。夜はたくさんの客が下の階に来ていたので、夕食は、お客さんが帰ったあと9時すぎになった。(病院は6時に夕食)フミちゃんと2人で久しぶりに夕食した。長かった病院の生活が悪夢に思えた。オカズはフキと高野トウフとコマツの菜の煮物、フキのピクルス、トウフのみそ汁、サラダ、どれも素晴らしくおいしかった。
モレーナに帰り、緑に囲まれて暮らす事を病院で何度、思い描いたことか。

2010年7月4日(日)すずしい
 ジュディー(イヌ)は以前より利口になり、おとなしくなって、イタヅラもしなくなっていたので、びっくりした。アーちゃんは相変わらずだ。のんびり屋である。ここでの生活は、病院とちがって何をするにも、大変だ。でも心の方はずっとラクになった。フミちゃんは私の事を色々と気づかってくれる。階段の登りおりは、病院ではふだんしてなかった。(エレベーター)家の階段は狭いうえに急だ。
しかも下が店、上が住居、トイレ、食事は下、だから1日に10回くらい登ったり、下りたり、しなければならない。両手両足で這うようにして、登るのだ、危険であるし、まだ非常に疲れ、足腰が痛い。病院にいた時より、ずっとキツイ。そのうち、慣れるだろう。この間、杉の下さんと一緒に来た岩田さん(医療器具屋)が言っていたが「栗岩さんは、毎日うす皮をはがすように体が良くなって行き、3年で7割、5年後には、ほとんど回復するでしょう。」と言う言葉は、私にとって、大いにはげみになっている。

2010年7月5日(月)休み 風あり 涼しい さわやか
 下川に戻ってから、眠剤を飲まなくても眠れ、便秘もなくなった。昼近くに家の前の畑を見廻した。草が伸び放題で草がマヒしている足にからみつき、倒れそうになる。庭の片すみの木の下のチャーリーの墓に参って、家に戻る時、マヒしているはずの左足が上がるようになっているのに気づいた。足に力がついて来たようだ。今まで、ずっと引きずって歩いていたのに。上がるだけでなく、ヒザから下が、後に曲げる事も自分の意志で出来るようになっていた。しかし、スムーズに動くわけでなく、ギクシャクしている。それでも私はびっくりし、嬉しかった。まだ完全ではなく、以前のような自然歩行でない。歩き方はギコチなく、不完全だ、エネルギーロスが多い。でもそのうちラクに歩けるようになると言う希望が生まれた。そのうち歩けるようになるだろう・・・。
 フミちゃんと一緒に夕食した。退院祝いに2人で1本のビール(500㏄)を飲んだ。とても苦く感じた。夕食はイカのリングあげ、カレーの煮付け、トマトときゅうりのサラダ、具だくさんのみそ汁、ごはん茶碗1杯であった。彼女は私の食生活が以前に戻ってしまう事をとても心配している。ありがたいと思う。私は晩酌(ビール1本)も止めた。タバコも止めた。お酒はサムタイムでいい。食事も小食でいい。もう苦しみ(脳梗塞)を味わうのは、いやだ。自分だけでなく、周囲の人間まで巻き込んでしまった。フミちゃんは苦労のためすっかりヤセてしまった。

2010年7月6日 くもり 涼しい(休み)  午後にケア・マネージャーの杉の下さん(下川のハピネス)が来て、障害者手帳の手続きを手伝ってくれた。親切だ。病院とちがう、フツウの生活に慣れて来た。それでもやはり疲れる。昼に養蜂家の東さん関係の客が6人来てくれた。3時半頃、フミちゃんがナヨロに出かけ、入れ替りにトオちゃんが訪ねて来た。ナヨロ市立に入院していた時、トオちゃんも足の骨折で入院していた。トオちゃんは車イスで、私の部屋によく来てくれた。最もつらい頃だった。
トオちゃんが話し相手してくれたおかげで、私はどれくらい助かったか知れない。彼は絵を描くので色々わかり、私のフーレンのアトリエから絵を描くのに必要なものを持って来てくれたのだ。

2010年7月8日(水) くもり 涼しい (休み)
 フミちゃんと昼メシを食っていると、杉田さんが来た。陽に焼けて元気そうだ。これから釣りに行くと言う。「ネコ達がヤマベを欲しがるんでネ」と言って笑った。コーヒーを一緒に飲みながら庭の方を見ると緑一色の中にジギタリスの赤ムラサキの花があざやかであった。どこかで、カッコーが鳴いていた。3時頃に、草刈機を車に積んで、フミちゃんの運転でフウレンのアトリエに行った。
脳卒中で倒れて以来だった、家の中はあの時のまま。「フトンだけは、畳んで押し入れに入れといたわよ。」とフミちゃんが言った。主なき家はどこか淋しい。カメムシの死骸がたくさんあった。私はいくらか、感傷的な気分で、とりあえず必要な体重計、本と血圧計、その他をカバンにつめ、車に積んだ。家の周囲の雑草は刈る程伸びてなく、フミちゃんは小屋から薪を運んで車に積んだ。家に帰るとフウレンのアトリエを世話してくれた金子さんから電話があった。「ハスカップをつむアルバイトをやらんかい」フミちゃんが「アルバイト行きたいんだけど、今はクリさんの世話で大変だからダメ、だれか探してみるわね」と言った。金子さんの話では、今年はハチ飼いの東さんは心臓のバイパス手術をしたので、来てないと言う事だった。「あの元気な東さんもか」と私は淋しく思った。みんなあっちこっち悪くなり、亡くなった人もいる。
 夕方、イヌを出してやり、私は橋の所(サンル川)まで散歩、歩行のトレーニングをした。腰が痛くなった。そのあと、フミちゃんと一緒に夕飯を食べた。トウフとズッキーニとエビの煮付け、大根おろし、ワカメのみそ汁、納豆、そうめん、どれもおいしかった。私も食べる量は以前の1/3以下に減った。酒なしでも平気だ。熱いジャスミン茶を飲んだ。昼間の疲れで9時頃に寝た。フロは入りそびれた。フミちゃんは2時頃に寝たようだ。
私達の関係は以前より、ずっと良くなったように思うが・・・・。私はある種の小さな憩いを感じている。病院は戦地だった。  (書き忘れたが)フウレンのアトリエから家に帰る途中、フミちゃんと望湖台の温泉に寄り、缶コーヒーを買った。そこのマスターは私を覚えていてくれた。イヌの事も覚えていた。彼は若いイヌが好きなようであった。そのあと、ヤブミ湖のかたわらに住む、滝川さんの所に寄った。彼は陽に焼け、広いヤサイ畑の中で働いていた。茶をごちそうになった。陽に焼けムギワラ帽をかぶった時の滝川さんは中々良い。

2010年7月9日(木)雨 涼しい 休み
 退院して早くも1週間が過ぎた。私は腰痛に悩まされながらもフツウの生活に戻った。歩く量も病院とはケタチガイに多くなり、店の仕事もフミちゃんの協力で始めた。掃除、食器洗い、スプーンみがき等である。まだ注文とり、料理の盛り付け、テーブルに運んだり、片したりする事、料理(出来るが遅い)等はムリだ。
夕方にトモちゃんが来た。私はフロに入っていて、フロから出る頃には帰ってしまったので、あまり話も出来ず残念だった。夕食に「私が魚が食べたい」と騒いだので、フミちゃんがサクラマスを焼いてくれた。私は大根おろしをすったが、大変だった。思うようにできない。サクラマス(海)はとびきりおいしかった。夕食はナスのみそ汁、ごはん、冷ムギ、焼ピーマン、サクラマスと病院とは比べものにならない程、どれもおいしかった。
 ありがたいと言う気持をいつしか、どこかに置き忘れてしまい、イラついてしまう自分の性格がイヤになる。今度の病院の経験が、私と言う人間を良い方に導いてくれる事を望むし。またそうならなければ、孤独で暗い生活にハマるだろう。夜中に目覚めベッドの中でそんな事を考えた。神(マリア)と共に歩むのが、その良い方向なのかもしれない。祈りを込めてイコンを描くのが、私にとって救いになるのかも知れないと考えた。

2010年7月9日(金)暑い 2階はムシブロみたいで眠れない!
 朝、ジュディをつなぐため、ロープを左手に持って玄関を出て歩いて近づいて行った。ふと、自分が杖なしで歩いている。それも思ったより上手に歩いているので、驚いた。杖なしでも歩ける!嬉しかった。

2010年7月10日(土)猛暑!
 1階はレストランなので、客が来るのでゴロゴロできない。2階でヒルネ、暑くて眠れずバテ気味。このまま、また病院に逆戻りかと心配だ。夜、フウレンのオルゴール屋さんのシバタさん夫婦が来る。2階から下におり、久々に話をした。シバタ君はカレー、ごはん大盛おかわりした。  冬に参加できなかった「イグルー生活体験」誌もあった。寝る前にイヌの様子が変で足を引きずっていた。カラビナの先がヒフに噛んでいるのをフミちゃんが発見して一件落着、ヤレヤレ。ダルメシアン系のこのイヌは狩猟本能が強く、ここでは飼いづらかった。人一倍手のかかるイヌでかわいかったが、私が入院している間、フミちゃんは苦労していた。

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